オーストラリア・デー
1月26日は「オーストラリア・デー」と呼ばれる祝日です。
「オーストラリア・デー」とは、1788年にイギリスからの植民船団が
初めてオーストラリアに上陸したことを祝う日です。
いわば「建国記念日」みたいなものでしょうか。
国中いろんなところで花火が打ち上がり、
バーベキューを楽しんだり、野外コンサートやパレードが行われます。
でも、忘れてならないのは
イギリス人や他の国からの入植者がやって来る前には
オーストラリアにはアボリジニと呼ばれる先住民族が住んでいた、ということです。
イギリス人が入植した当時、異なる言語を有する部族が400以上存在したといいます。
ですから、オーストラリアの中にはこの日を
「Invasion Day(侵略の日)」「Mourning Day(嘆きの日)」「Survival Day(生き延びた日)」と
呼ぶ人たちもいるのです。
アデレードには、「Migration Museum(移民博物館)」があって
オーストラリアの移民の歴史がわかりやすく展示してあります。
博物館入口にあるKaurna族についての説明書きには、以下のように記してあります。
「移民博物館は、この銘をKaurna族に捧げます。
Kaurna族は、かつてこの地に住み、イギリス入植者によってこの地を追われた人たちです。
1845年、南オーストラリア植民政府によって、ここにKaurna族や他の部族の子供たちのための寄宿学校が建てられました。
この学校の目的は、先住民族の子供たちを家族や信条、継承文化から引き離し、
入植者のために職人や使用人として働くよう訓練するというものでした。
毎年50〜60人の少年少女が通い、キリスト教、英語、算術、園芸、料理、裁縫が教えられました。
1851年には家族との連絡を完全に経つために、数人の生徒がPort Lincoln(南オーストラリア州の都市。アデレードから約650km)に送られました。
自らの子供を無くし、住んでいた土地も無くしたアボリジニの両親たちは、子供たちをこの学校から連れ戻し始めました。
1852年に学校は閉鎖され、建物は困窮者収容所の一部として使われるようになりました。
向かって左側のレンガの壁は、学校として使われていた当時のものです。
その後、政府は先住民族から強制的に子供たちを引き離し、孤児院や児童養護施設等で子供たちを育てました。」
およそ230年前、400以上存在した言語部族は、現在は250まで減っています。